ふわり、と浮いています。

所属団体を代表するものではないと書いとけば許されると誰かが言っていた気がします。

幸せを語るには不幸で、不幸を騙るには幸せ過ぎるのでした。

こんにちは。紫葉です。普段は春物のコートの着こなし方を考えています。*1

 

突然ですが皆さんは幸せですか?

 

あ、まって。別に宗教の勧誘などをしようという訳ではないんです。帰ってきて。

今回の文章を大まかにまとめると「救われたいくせに容易く救われたくない男の嘆き」です。軽めに内心を書いていくので適度に反面教師にでもしていただければと思います。*2

 

以下、特に意味のない章分け

1.呪いの言葉で自身を縛り付ける

「世の中には貴方よりも不幸な人がいるのに、その程度で不幸ぶるな」とかいうカスみたいな文言がはびこっているじゃないですか。そして案の定その言葉を勝手に重しにしてずるずると、まるで突き刺さった大剣を抜かぬまま動くゾンビのように生きていく。こう書いている私もこの影響が抜けているかと言えば全く抜けていないんですが、ただ自覚していることとしてはこんな呪言は言ったもん勝ちの出来レースだということです。

そんな言葉を振りかざす人間は、自分より幸福な人間がいるというのにその程度で幸福ぶるような人間なのでちゃんと無視しましょう。というかやっていることが極悪すぎる。人様の幸せに水を差せばそれはきっと「悪」なのでしょう。ならば人様の不幸せに唾吐いて不幸がらせないというのもまた「悪」なのです。

そんなこと言ったって仕方がないと思われるかもしれません。不幸で居たくない人もそりゃ多いでしょうね。私だって嫌です。でも幸せに感じる気持ちも不幸に感じる気持ちも全て自身の感情を知覚する行為だというのに、都合のいいものだけ通してそうでないものは他者に妨害されてもいいだなんてそんなもの、好き嫌いが高じて偏食となったようなものじゃないですか。他者による不幸がらせない行為というのは、食べ物を制限させられ無理やり栄養を偏らさせられる行為とさほど変わりないのです。

要するにそんな妄言をまき散らす人は無視してちゃんと不幸だと感じることを忘れるべきではないということです。

 

2.良い事を忘れて嫌なことばかりフラッシュバックする

正直これについては誰かしらに助言を貰いたい立場なんですけどね。「良いことはすぐに忘れるのに良くないことはいつまでも反芻する君たちに朗報だ!その障りは死んでもあるぞ!」くらいなことを言われた方がいっそすがすがしいってものですが。

では少し違ったアプローチをしてみましょう。「なぜそう思うようになったのか」について考えていけば何かが見えてくるかもしれません。*3

例えば私にとっては「誰かに怒られる・失望される」ことを恐れていたため、でした。*4だからこそその瞬間はいつまでも脳裏に焼き付いているし、二度と同じことにならないよう学習するために憶えてしまう。そして良い事を忘れてしまうのは「良かったことに浮かれない」ためです。こちらは他にもたくさん理由があると思います。1番でも書きましたが、自分よりも幸せな人がいると思うと幸せ面ができないことや、単純に記憶が定期的に霞む*5ことといった理由も多分にあると思います。それでも前者の理由と対応して挙げるとすればこの理由でしょう。私は浮かれるとすぐ何かしらのミスあるいは不幸な事例に巻き込まれると経験則で理解してしまっているので。

あるいは楽観的に生きれないという性質も影響しているでしょうね。ただ、その性格のおかげで幾分かのトラブルを回避できたという点を評価しているため、恐らく私は死ぬまでこのことから救われることはないでしょう。皆さんは救われるといいですね。

 

3.過去の自分を裏切りたくない

これです。一番の原因。少なくとも私にとっては「この程度で救われてたまるものか」という精神が根付いています。『信じるだけで救われてたまるか』『これまでの苦しみをたったそれだけのことで』『これまでの自分が馬鹿みたいじゃないか』といった面倒臭い思いが沸々とあります。例えば私はロマンチシズムに傾倒しているため、世界の終わりでもないと救われる気が全く起きません。この場合問題として挙げるべきは「終わらない世界」についてなのか、「そんな精神状態」なのかどっちなんでしょうね。勿論後者に決まっているのですが、そんなこと分かり切ったうえで世界と愛のどちらを優先するのかだとか、かつて得られなかったものが詰まっている箱を抱えて夏休みを過ごすだとか、そういった最後まで感傷たっぷりのおセンチ物語で救われた気分を味わうより他ないのですよ。恋愛の甘酸っぱさを知るために青春映画を見るようなものです。

無論そんな話ばかり読んでいるわけではなく、ほの暗い話もよく読むのですから、知らない世界が怖いというのもあるかもしれません。うっかり救われてしまった後の世界がどうしても想像がつかないからこそ、暗く深い底に沈むような話を摂取しつつ定期的に疑似救済を受けて何とかやりくりしている、みたいな。私が曇らせモノをよく読むのは単純に主人公に共感できるから、というのが酷くデカいですよ。共感できる話が好きなことは当然でしょう?そういうことです。

勿論、上に書いたことは純然な真実ではないでしょう。寂しさやキリキリと軋む心臓を文章という媒体で消費しているに過ぎない。例えるならば誰かにとっての失恋ソングと同等なのです。

それでもそこまでする意欲の原因は過去の自分のためにも「私」は救われたくないというものが大きいと思います。正直なところ、救われたいだけならそれなりに方法があるのにそれをしていないのはなぜなのか、という部分からある程度自明に導けるくせになかなか強固な縛りでとても困ります。

 

 

とりあえず人様に見せられる形に整えたのが3つありますが、実際のところはもう3,4個は優にあるのでもう助からないのかもしれません。友人からは酒や薬に頼ると終わるからやめておけ、と言われているのでそれらに頼ることはないと思います。ただ、これから死ぬまで付き合う障りなのですからもう少し融通効いたっていいじゃないか、と思う自分がいるのもまた事実。

あ、春コートをいつ着ればいいか悩んでいることも事実なので、こちらはもし良ければ教えて欲しいです。

*1:まだ着れてなくて毎年箪笥の肥やしにしています。助けて。

*2:幸せになりてぇ~~~~~~~~~~~~~~

*3:と言いながら自分でも何百回とした行為なので駄目元というものではありますが

*4:だからこそ優等生のふりで居続けられたって?うるさ~~い!

*5:これはあまり詳しく書くつもりはありませんが、ストレス解消法を知らない私が取れる唯一のストレス解消法なのです